ブログを短くしてみたらあまりに楽で1日に何件も投稿しちゃう件
砂糖入りのチョコ断ちをしてみたら、驚くほどチョコを欲しなくなった話
私はチョコレートが大好きでした。
否、「私、チョコレートが好き!」と思い込んでいて、毎日食べないと気が済まなかったのです、きっと。同じような方がいるのではないでしょうか。
チョコレートには中毒性がある、らしいです。
私はチョコレートに含まれる砂糖が原因ではないかなと思います。
コンビニなどで売っているチョコ菓子は、たいてい裏の成分表示の中で、使われている量が多いとされるはじめの方に「砂糖、○○、...」と記載されていることが多く、ずいぶん前から買うのを控えていました。
母親が買ってくる、生協(生活クラブ、という組合に所属しています)のチョコレートなら安心かと思い込んで食べていましたが、先日パッケージの裏をふと見てみると、成分の一番はじめに砂糖がきている....!
これは成分の中で最も砂糖が使われているということであり、いってみれば白砂糖とあとちょっとのココアを食べているようなものです。(言い過ぎ?)
それから改めて、砂糖不使用のチョコレートを成城石井で買ってきました。
ベルギーが原産国のもので、砂糖のかわりにマルチトール、イヌリンが入っています。
味はふつうのチョコレートとほとんど変わりません!
私はおいしいと思います。こちらのチョコレートは割とひとかけらで満足感が得られます。
成城石井のほかに、PLAZAでも砂糖不使用のチョコレートが売っていましたベルギー産のものが多い印象です。
白砂糖は急激に血糖値を引き上げ、さらには中毒性があります。白砂糖のこわさは、エリカ・アンギャルさんの著書の中で詳しく説明されています。
こちらの砂糖不使用のチョコレートに変えてみれば、チョコレートを食べたい!という欲求が減り、チョコレート中毒が治るかもしれません。
私は砂糖を使わない、ナッツやいちじく、せんべいを間食として食べはじめて、チョコレートも食べないように意識したら全くチョコレート、食べたい~!という気持ちがおきなくなりました。
砂糖が多く使われているであろうチョコレートは控え、上記のような砂糖不使用チョコレートをたまに食べています。
以前の私のように毎日のようにチョコを食べている、やめられない人、チョコ大好き!でも痩せたいかもという人は、是非砂糖不使用チョコレートをおすすめしたいです。
家庭教師のバイトのコツ―小学生の勉強のやる気を高めるには?
4年間家庭教師のバイトを続けてきましたが、受け持った生徒は3人のため、
結論からいってしまうと、あまりテクニックなどは身に付きませんでした。
どうやれば成績が上がるとか、やる気が出るとかはその子次第、あるいはその子に合わせていかないと効果が出ないんじゃないかなぁと思います。
とくに私は小学生高学年を受け持っていたため、その子の性格によるかなと思います。
一番手を焼いたのは、算数が嫌いな子。でもそのほかの英語や国語は好きだったりするので、英語をやりたい、国語をやりたいと授業中に言ってくるのです。
私の基本的方針として、生徒の意志をなるべく尊重することに重点を置いていたため気分転換として少しなら、という気持ちで「じゃあ国語やろうか」と言うわけです。
生徒の意志を尊重してあげることは大切だと思っています。しかし、いつもそうしているわけにはいきません。
「じゃあ国語やったから算数やろう」というと、小学生「やだ」となるわけです。
この後の行動がポイントです。
「やだ」の裏に、何があるのか?もっと話したいことがあるとか、もっと国語をやりたいのか。
しばらく生徒の出方を伺ってみます。
すると、学校であった出来事を話してきたり、自分の好きな話題(家族の話、ニュースの話、テレビの話)をしてきたり。それらを少しの時間受け止めてあげると、それが終わったときに、自然と目の前にあったプリントに鉛筆を向けていることが多いのです。
小学生と言っても一人の人間だと私は認識していて、その人の考え方、やりたいことは極力尊重したい。
その算数嫌いな子は、問題集や、計算問題がずらっと並んだ算数の問題はやりたがりません。ですが、私が手書きで書いたプリントや、図で考える面積の問題のプリントは作っていくとどんどん取り組むので、なるべくプリントを作るよう心がけています。
何種類か問題集を出してみたり、自分で手書きでプリントを作成してみたり。(時間はかかりますが、生徒には時間をかけて作った、という思いやりが伝わるのではないかと考えています)
時には雑談したり。勉強すること=楽しいこともある、ほめられる
という図式を作っていってあげるのも、家庭教師の仕事の一部なのではないかと思います。
あと注意点は、スマホやPC、テレビ、ゲームは使用しないこと。
これは一回やってしまって失敗しました。(経験談)
時間をかなり無駄に使ってしまうことになります。せっかく生徒と先生という二人の対話が生まれるはずのところを、ゲーム(たとえ勉強のゲームだとしても)によって二人とも受け身になってしまうのです。
もし、生徒が部屋に持ち込んできた、あるいはもともと部屋にあったとしたら、すぐに笑顔で取り上げてしまいましょう。
笑顔で、がポイントです。そして取り上げてからすぐ勉強に移ってもいいのですが、「これはやめよう!」といってからすぐ嫌な問題に取り組ませるのは少し酷なので、「最近楽しかったことは何?」とか「学校で好きなことは?」といった雑談を少しはさんでいます。
ここで将来の夢についてきいてみるのもいいかもしれません。
家庭教師は、生徒が自分で勉強できるように補助してあげることが大切なのではないかと思います。私自身、中学受験はしませんでしたが、小学生のころから家庭教師の先生についてもらったことで、毎週の家庭教師の時間が楽しみで、宿題をちゃんとやったり、テストをがんばったりしていましたから。結果算数でひどい点数を取ることはありませんでした。塾にはほぼ行かず、学校と家庭教師のみで大学受験をして、受けた大学はすべて受かりました。(全部私大文系でしたが。)早慶青以下。
私の勉強のやる気の原点は、もしかしたら小学生のころの家庭教師の先生と仲良く遊んでいたことかもしれません。
勉強って自分の意志でやればすごく楽しいものなんですよね。そういう感覚が生徒たちにも身につくといいなあと思いながらバイトしています。
飲食店でバイトすることのメリット
飲食店でバイトを始めてから、充実している感じというか、スタッフ同士との会話やお客さんが嬉しそうにお礼を言ってくれることが楽しくて、非常に充足感があります。
これはなぜなのか?を考えたいと思います。
私がしているのは、個人経営の飲食店で、スタッフの人数はそれほど多くはありません。
しかしながら、極度のインドア・人見知りな私にとってはとても楽しいバイトとなりました。
1.声を出して、お礼を言う
これは接客業では基本ですが、ゆっくり・はっきり声を出して、笑顔で「ありがとうございます」を言います。これを繰り返していると、なぜだかこっちまでうれしくなるのです。笑顔でいつづけるのは疲れるかもしれませんが、慣れるととても気持ちが良いのです。
2.スタッフと協力し合うから、スタッフ同士で言葉を交わす
飲食店だと、たいていは厨房とホールという棲み分けがありますが、基本的に一人で全部こなすということはありません。たいていだれかが料理、ドリンク、デザートを作り、ホールが運ぶ。そしてホールはお客さんの案内、オーダーをとり、会計をし、後片付けをします。そして皿洗いもします。
その中でスタッフがさっと動いて片付けを手伝ってくれたり、洗い場の近くにいた人が「洗いますよ」と言ってくれたり、一人が食事を運ぶことに忙しければ、他のスタッフが「会計いってきます」と声掛けしたり。
さらに、私がバイトを始めたてのころは何度もミスしていたときの、先輩スタッフのフォローがとてもありがたく、嬉しかったです。
3.お客さんがお礼を言ってくれたときのうれしさがある
こういうお客さんばかり、というわけではないからこそ、たまにこういうお客さんがいらっしゃるとものすごく嬉しいものがあります。
会計後に、「すごくおいしかったです!ごちそうさまでした」と言ってくれるお客さんがいようものなら、私はその後30秒くらいにやにやしてると思います。
これは、自分が飲食店に入ったときに、スタッフの苦労が分かるようになるため、店員さんに優しく接することができることにつながります。
さらに、ホールだと周りを見回して、食べ終わっているお客さんがいないか、追加注文したくてメニューをほしがっているお客さんはいないか、お客さんの様子を見て行動します。そのため、気配りをする力が身につくのではないかなと感じています。先輩スタッフには男女問わず、びっくりするほど気配りができる人本当に多いです。
4.家事をすることに抵抗がなくなる
私はバイトを始めてから、皿洗いや包丁を持って料理することを積極的にするようになりました。台所に立つことが増えました。料理教室に行くより、モチベーションがなぜか上がったのです。いつもバイトでやっているから、という自信がついて、するようになったのでしょうね。
コンパクトに4点でまとめましたが、飲食店バイトを始めて本当に良かったなあと思っています。一度経験していれば飲食店はたくさんあるので、また別のところでバイトもできるし、潰しがきくのかな~?とは思います。
SNS断ちをするメリットについて
大学生になって、当時高校生ごろから出てきていたTwitter、そしてFacebook、LINEを一挙に始めました。
それは周りの”大学生”に置いておかれまいとしての、私の行動だったのかもしれません。
現に、先輩や周りの同期達もTwitterでコミュニケーションして、サークル内で盛り上がってみたり、Facebookで写真を挙げてあれこれ言って笑い転げたりもしてました。
しかしある時...勝手に自分の写真を上げられたり、Twitterで鍵をかけていない人に名前を呼ばれたりすることに、だんだんと恐怖と嫌悪感を抱くようになりました。というか、単純に嫌だなコレ、という気持ちでした。これは(鍵の設定等してない場合)全世界誰でも見れちゃうわけで、かなりの個人情報流出になります。ネット上に上がった情報というのは、基本的に永遠にデータとして残るわけです。たとえアカウントを消したとしても、ツイートした内容は残っていたりします。
私はTwitterのアカウントを一度消しましたが、はじめの頃の、鍵をつけていない時期のツイートなんかは検索するとまだ残っていたりしてました。
あるツイートが検索されて、炎上するようなことも大いにあり得ます。(ホテル従業員が芸能人の所在をツイートして問題になったケースが典型例です。)
また、Facebookも自分の写真が挙げられることで、膨大な情報を世界(あるいは「友達」に)公開していることになりますよね。例えば「こんなレストラン行きました~」とか、「こういう人達と遊びました~」という写真の中で、一緒に写っている人、行った場所はすべてわかるわけです。それをしょっちゅう投稿していたら、だいたいその人の行動パターンや範囲が読めてくるような気がします。
そして何より、他の人のタイムラインを追う必要が本当にあるのか?
私はこれが一番疑問に思った原因で、Facebookを辞めた一番の理由でもあります。
Facebookの「友達」は、友達といえないような人からも「友達申請」が来たりして、ほいほい承認したりするとタイムラインにどんどん投稿が流れてきた経験があります。
この人達の動向を知ることで、私にプラスになるのだろうか?
よく考えてみてください。
私はタイムラインを一生懸命追ってその人達の情報を知ることは意味がない、自分の時間で他人のことを知る必要はない、と思っています。
自分が何か発信したいことがあれば、それは別です。
私が言いたいのは、受け身な状態でSNSをやることはやめたほうがいいのではないか、ということ。
「みんなやってるし」という理由だけでSNSをやるのは、私はよくないのではないかな、と思います。他の人、あるいは友達の「つかれた」「ねむい」「カレー食べた」ツイートをタイムラインで見なければいけない理由がどこにあるのでしょう?
それを見るだけで、私たちの脳はエネルギーを奪われているというのに。
私は2年前にFacebookをやめました。ですが、それで身近な友達がいなくなったりした、などということはいまだにありません。
Facebookをやることが、自分の大切な時間を削ってでもやりたいと思えるならやってもいいでしょうが、漫然と見ているなら時間の無駄になっていはずです。私はFacebookもTwitterもやめてから格段に本を読む時間、新聞を読むことが多くなりました。
SNSは「他人とすぐネット上でつながれる」ツールとしては非常に便利です。
ですが、以前の私のようにただ漫然と見ているだけ、のような人には、とりあえず1日だけでもSNSを見ることをやめてみてはどうでしょうか。
その時間を、なんか有効なことに使おう!とは言いません。ただぼーっとソファに座ることでもいいですし、カフェでまったりするだけでもいいのです。「SNSでなんか面白い投稿ないかな」とスマホをいじらないで、味わってみるだけでいいのです。
この「なんか面白い投稿ないかな」とか「あの人が何か投稿してるかも」といった感情は、自分ではなく他人に意識が向いています。
この時点で、自分は「受け身」になっていると思いませんか。
私はSNS断ちをしてから、他の人どうしで何かやっていたりしたことが見えなくなって、いわゆる「仲間はずれ感」とか、「いいな」といった感情を感じる必要がなくなったので、自分に集中して、自分を大切にできてきている気がします。